何でも「面白いな」と思える人が勝つ

終身雇用、年功序列がきちんと機能していた時代は、そこそこの会社に一度就職しさえすれば、あとは企業内でどう生き残るかを考えるだけでよかった。ところが今は、一流企業のサラリーマンもリストラの不安に怯える時代である。何を頼りにしたらいいか、多くのサラリーマンは戸惑っている。

その戸惑いの最大のものは「会社とどう向き合うか」ということであろう。中には新しい資格を取って転職に備える人間もいる。また、上司との関係を上手く保って、リストラの心配を払拭しようと努力する人もいる。しかし、現実問題として資格の取得も人間関係も「絶対」ではないから、不安はますます増大し、鬱になったり自殺したりする。

近年、中高年の自殺が増えているのは、サラリーマンの生きがい喪失の不安が大きいからだと思う。だが、不安や心配を無くそうとするのはやめたほうがいい。なぜなら無くならないからだ。「先行き不安」などというが、将来とか先行きは、いつだって不安なのだ。

高度成長期のサラリーマンは、今と比べれば不安が少無かったかもしれない。だが、あのような時代はもう戻ってこない。「皆が安心できる企業社会は、60年代から80年代へかけて日本がもっていた特異な形態だった」(山岸俊男北海道大学教授)からである。あらゆることでグローバル化が進んでいる日本の現状を見れば、これから先の日本がどうなるかは、むしろ欧米の社会を見たほうがよい。

好むと好まざるとにかかわらず、日本社会も国際標準に近づいていかざるを得ない。地球がこれだけ狭くなった今、それ以外の選択肢はないのだ。欧米事情に詳しい評論家の竹村健一さんは「日本の常識は世界の非常識」が口癖だが、この言葉の意味を正しく受けとめている人は意外に少ないようだ。

竹村さんが言っていることを裏返せば、「世界の常識は日本の非常識」ということになる。つまり、われわれが常識と疑わないことは世界ではあくまで特異なのである。たとえば「定年後をどう生きるか」は、日本では結構重い問題として扱われている。仕事を生きがいにしてきたサラリーマンから、仕事を取り上げてしまうのが日本の定年制と考えられているからだ。

生きがいを失った定年者は、この先どう生きればいいのか戸惑いを覚える。定年後の生き方は、日本ではマイナスの問題として論じられることが多い。だが、欧米では話か逆になる。定年をみんなが楽しみに待っているのだ。殆どの人が若い頃から定年を待ち望み、第二の人生の計画を立て、周到に準備し、定年後は残された人生を満喫する。およそ日本では考えられない光景である。

2007年から団塊の世代が定年を迎えているが、これに関連して、今いわれていることは「定年の延長」「熟年離婚」「年金暮らし」「技術の継承」とお固い話題ばかり。「待ってました、定年!」といった明るい話はあまり聞こえてこない。それどころか働き盛りのサラリーマン層までも、団塊の世代につられるように先行きに不安を抱いていて元気がない。どんな時代でも、どんな社会であっても、先行きへの不安は伴うものだが、この不安とどう付き合って行くかが問題なのだ。

この点について、先の山岸俊男さんはこういっている。「これからの時代は、聡たる不安と上手く付き合えるかどうかが重要で、どんな仕事で収入を得て、どう生きていくのか、一人ひとりが考えなければならない。それを面白いと思える人は勝ち、気弱になる人は負けの時代ともいえる」この意見に私も賛成する。

どんな人生も山あり谷ありで、いいことばかりではないが、どんな境遇にあってもヘコむのではなく、何でも面白がれる体質で臨むこと。それが難関を乗り切り、明るい未来を築く基本的な条件ということだ。

PR:消費者金融

— posted by ラスター at 03:41 pm